日常と非日常の境界線

男はいつもと変わらぬ時間に家を出た。今日、男を待っているのはいつもと何も変わらぬ風景。

厳密には周囲に居る人は毎日異なるはずである。だが、直接関係を持つ間柄ではないため、同じだろうが違かろうが、気にならない。

唯一、毎日夫婦で同じ車両に乗ってくる人間が居るため、いつかラリアットを噛ましてやりたい衝動に駆られることがある。しかし、男も人間であり、社会人であり、それを理性が抑え込んでいる。それが、男が社会で生きられる唯一の理由である。

男はいつもと変わらぬ一日を過ごすため、それに乗りこんだ。世の中とは不思議な物で、とかく不倫と時間に厳しい

世の男は外からの物理的な攻撃には比較的耐えられるように作られているが、内側からの攻撃に脆い。映画「アルマゲドン」と同じ理屈である。内側というのは、口撃による精神的ダメージと、長時間監禁されることにより、お花を摘みに出られないという重圧である。

男は内なる密室で内側からの攻撃に襲われた。20分はこの密室のままだ。だが、この攻撃には波がある。まだビッグウェーブはこない。ビッグウェーブが来ない内に津波の来ないところまで避難してしまえばいいだけの話である。

だが、今回の波は勝手が違った。小さな波が連続で押し寄せてくるタイプなのである。ジワリジワリと防衛線が後退し、圧されていく。物理的に死ねず、社会的に死ぬことほど地獄はない。男は耐えるしかなかった。

密室から開放され、一目散に個室を予約に係るが、残念ながらテレアポなどの手段は通用せず、突撃訪問営業するしかない。今日の面接中の突撃訪問営業担当者は3人、面接待ちの担当者は4人だった。

 

男は静かに周囲に気付かれぬよう、クソを漏らした(完)

僕は友達が少ない

いきなり直球でライトノベルのタイトルをモロパクリしたが、これは現実なのだから仕方ない。

内容については全く把握していないが、「僕は友達が少ない、けど5股かけてるよ」と勝手に解釈し、勝手に敵意を抱いている。作者及び関係者にとっては甚だ迷惑な話であるが、どなたかコメントで内容の真偽を問わず要約して頂ければ、今後はそのように伝えるため、どんどん間違った解釈が私の中で広がっていくので気楽に書いてほしい。

 

僕は友達が少ない

友達は…多くはないが、居るのは間違いない。ただ、周囲を見ているとどう見ても気軽に遊びに行き過ぎなのである。

誘いのメール1本書くのに1週間程度要する自分からするとあり得ない速度である。

僕は人を遊びに誘おうとすると真っ先に「他人の時間を奪っている」という罪悪感を感じる悲しい習性がある。それが故に、なかなか人を誘えない。

具体的には 映画行くかな→誰か居ないかな…→その人にとって退屈だったらどうしよう→一人で見に行くか という具合である。私の好きな文筆家も言っていたが他人と映画に行くと映画よりもその人の顔色が気になって集中できないのだ。

最近凋落している凋落している、と言われて久しいが随分長いこと続いている「パズル&ドラゴンズ」。 私がこのゲームをやめてしまったのはゲーム全体がマルチプレイが遊びの中心にシフトしているにも関わらず、マルチプレイをする友達がいないからである。ランダムマッチングのような機能があればいいのだが、残念ながらそのような機能がない。パズドラは友達が居ない人間に厳しいシステムになってしまったのだ。

結局、面倒だから1人で済ませている。

社会においては、休日は誰かと過ごす人が多いらしい(私の周囲に限る)。私はどうやら社会人ではないようだ。

備忘録

あんなに書きたいことがたくさんあったはずなのに、いざ書き始めるとなんも浮かばないのはいったいなぜなのか。

常々思う事だが、私は一般社会人の普通の考えとなんだか少しずれている気がする。

自覚している時点でそんなに深刻じゃないのかもしれないが、果たしてそれは本当にずれていることなのか、それともそんなにずれていることじゃないのか。

 

考えていてもよくわからないので、記録を残すことにした。

お付き合い頂ければ幸いである。